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連鎖

2016年8月1日月曜日

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 時間に遅れて教室に入ってゆくと、小休止していた皆の視線が次々に注がれた。どことなく、いつもと違うような空気感が漂っている・・戸惑い?不安?そんな想いを感じながら皆の集まりに近づくとやや遠慮がちに「車、混んでたの?」とKが話し掛けてきた。
 私は少し拍子抜けしながらも「うん。バイパスが混んでた」そう応えると別の子が「バイパス混んでたから私、途中で降りちゃった」と顔を曇らせた。

 そのやりとりを見かねたように傍らにいたYが「ニュース、見なかった?」と切り出し、かいつまんで事の次第を話してくれたがレッスン再開で万事休す。レッスンを終えて部屋を出ると、待ち構えていたように次のクラスの先輩方が私を見るやいなや「大変だったでしょ~~~」と大いに見舞われる事態となった。

 “これは大事”と感じながら、人伝に戴くメッセージ、その想いを受けて、私が既に関わっている一連の出来事より“伝える”という成すべきことを心静かに想った。

 夕刻、仲間より聞いたその事件がテレビで報じられていた。悲惨な出来事に避難の目や憤りの声が寄せられている。当事者や関係者の様々な想いの中に表立って寄せられた想いとは裏腹な想いが交錯していて、人の自由意思が生み出す社会の歪を感じ、“浄化”の想いで画面を見ていた。
 その日の晩、床に就くとふいに当事者の彼の歪んだ様相がくっきり浮かび上り、その張り裂けんばかりの悲愴な想いが顔を曇らせ、重たい想念毒が吐き出されてゆくようだった。

 捌け口を見出せずに傷つく心、その腹癒せに犯した罪の深さ。それらを感じつつ、それでも彼等を裁く気持ちにはなれない。罪は罪だが、それを憎む道理はない。いかような人であれ人は人。すべての人に、幸せに生きる社会の担い手としての使命が与えられている。

 人の意識の中に、「他人に負担や迷惑を掛けている人、誰の役にも立てない(ように見える)人は社会の役に立っていない」と排斥したり、排除する想いがある。その想いには潜在的な“やりきれなさ”が見え隠れしていて、心に抱えられたままの傷が痛々しく切ない。

 「独りで生きている」人などいない。その“独り”が世に存在するためには人と人、他者と他者がめぐり逢い、たった一人が生きるために本当に多くの存在が関わっている。
 生きていれば誰かと関わらざるをえず、他人に何かしらの迷惑を掛けたていたり、掛けられたりもする。お互い様だから“迷惑を掛けてよし”とは思えなくも、己の主義主張や都合を優先しようとする時、それが誰かの不都合や負担、迷惑に繋がっていないとは言い切れない実際がある。

 そもそも、人社会は相互扶助で成り立っており、人なれば皆、何かしら役割を与えられ、その役割を成すべくして生きている。現状、本人にその自覚があろうとなかろうとも“生きて存在している”ってことは既に社会の一員で、文字通り「役」に「立って」いる。したがって、社会にとって何の役にも立たない、排除すべき無用な人などいない。

 天が余すところなくすべての人に“人社会の幸福化”の一要員としての役割を与えて“幸せに在れ”と期待されているゆえ、万人に等しく「人」として存在し、生きる権利が授けられているのだから。

 人が存在する意味、その価値はすべての創造主である“天”より学ばせて戴くしかない。人が学ぶために必要に応じて事象(出来事)は起き、メディアを通じて様々に報じられて人の真価や社会の望ましい在り方が問われ、現社会の歪が顕著に示されている。
 遭遇する事象に悩み考え、気づき、その真意が骨身に沁み入るように意識レベルでの深い理解に至るまで、繰り返し“学びの機会”は巡りくる。

 “独り”ではなく他人を介して「人」の本質を学び知り、創造主のみ意たる真理に根差した幸せな社会の在りようを会得してゆくために人と人を繋ぎ、運命の連鎖は仕組まれている。今日もまた、人を介して新たなご縁を戴いた。

 真にありがとうございます。


人類総幸福化を願って・・

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