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今日のありがとう

2015年11月1日日曜日

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古希のお祝い。

久しぶりに皆が顔を揃えた席にて、普段、離れている兄弟が音頭を取り、采配を振う。

 
 場のセッティングに給仕人を選び、細かに指示して70周年の祝いの一席へと意欲的に臨む姿は、彼なりの精一杯の感謝の現れであろうことが覗える。“こうあるべき”との理想図、70年に一度きりという特別な想いを要所に訴える彼の心は穏やかとはいかず時折、場にそぐわない緊張感や白けムードを生んでいる。

 そこには、暮らしぶりや価値観、他人との関わり方等々、彼なりの生き方が現れていた。

 
 成り行きに任せて隣に座る私はと言えば、昔から兄弟に対する関心は薄かったのかもしれない。幼な心に母親を独占されたくないためか「添い寝していた」と聞く。物心がついてより各々の持論を主張して己が領域確保で精一杯、当時は辛抱心なく相互理解を得る根気もなく、年を取るほどに自ずと距離は置かれていった。互いに当たり障りなく。

 
 したがって、この一席を迎えるにあたり“験されている”ことは明らかだ。これも“お仕組み”と浄化をさせて戴くにつれてなおさら、彼の霊的成長具合いが気になっていた。

 
 話の持って行き方によっては反感を買い、主張を強める彼の様子を見守りながら、あれは25の時だったか、行き場を失い暴力に訴える彼を親元から引き離した私へのやっかみ、そのわだかまり(私にとっての負い目でもあった)はだいぶ解消されている。その進化の様子を察してなお心穏やかに、ここぞとばかり夢中で論じる彼の話に耳を傾けていた。

 
 独り暮らしでは持論を発揮する場は少なく、まして、赤の他人様ではそう易々と我ままは言えまい。単身の気ままさよりも、満たされない不自由な想いとともに優位へと背伸びする姿が伺え、その苦悩に対して労いと励ましの想いで浄化せずにはいられなかった。

 
 その苦悩が報われる時は必ずやってくる。求める先に応えはある。だいじょうぶ。

 
 70年に一度の寄り合いは、身内なりの自我(エゴ)が交錯し、万事、順風満帆な運びとは行かなかったがその分、これまで当たらず障らずに過ごしてきた個人が抱える問題を浮き彫りにし、問題意識の所在や家族の在り様を問われる結果が齎された。彼の主張の裏には“家族あっての物種”であることが暗示されている。

 
 家族だからとどこか高を括っていた。善くも悪くも馴れ合い、甘えもある。身勝手で我ままな想い。自我が持論を主張したがるのは、やはり“家族だから”なのであろう。

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 身内の抱える苦悩に触れて、「愛」と「真」の実践が促され、育まれてゆく。

 

「家族」という縁。最も身近で緊密な社会、世の天国社会の鍵を握る重要な仕組みに感謝。あなたあっての私、あなたや私という家族あっての社会。
 
 真にありがとうございます。



*心の修練:天国社会の真理
http://www13.plala.or.jp/meishin-jyuku/heart/axiom-7.html

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